中洲ジャズ、ズバーンと行ってきましてエネルギー使い果たして、やっと体勢建て直し完了です(ただし夜型モード継続中…)。

中洲ジャズは今年で5周年、ソノダバンド出演は3年目ということで、年々盛り上がりが増している様子が明らかに見て取れるので、間口の広い、本当に素晴らしいイベントだなぁと思います。
同時に、3年連続で呼んでいただけて、言い尽くせぬ感謝の念があります。

もちろん、来てくださった皆様あってのことです。
本当にありがとうございます。


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さて、中洲ジャズ関係でツイッターをボーっと眺めていたら、興味深いやりとりをチラ見したのでたまにはマジメなことを書いてみようとするの巻。


(中洲ジャズ参戦を表明していた方に対して)
「ジャズに興味持ってもらえて嬉しい。でも(見に行こうとしてる)バンドは全然ジャズじゃねーからw」



うむ。

何がジャズで、何がジャズでないか、みたいな話題って、ジャズフェスのような大きなイベントの時には出てきて当たり前なのです。
なぜならば、大きなイベントをやるにあたっては、多くの人に興味を持ってもらわねばなりません。
となると主催者は、多くの人が興味を持つような出演者をヘッドライナーに据えます。
ですが、多くの人が興味を持つような出演者が、必ずしもメインストリームジャズにどっぷりかというと、そうではありません(毎年出演している日野皓正さんなんかは、言うまでもなくリアルジャズレジェンドですけども 笑)。

となると、ジャズフェスのようなイベントは、どうしても、「ジャズ」の定義というものを広く解釈した感じのラインナップになりがちなものです。

じゃあ結局ジャズフェスみたいなものに行ってもジャズは聴けないのか!?というとそんなことはなくて。
中洲ジャズのような街中で演奏が行われているような無料イベントでは特に、普段あまりジャズを聴かないような方々が偶然街角で「本物のジャズ」に触れて、興味を持つ、ということが十分に考えられます。わたくしも、ジャズを演奏している者の端くれとして、そういうところからジャズが一般に広く受け容れられるようにできたらいいなぁという気持ちでイベントに参加している面もあります。



何故、ジャズは一般に広く受け容れられにくいのか。

おそらく、音楽が難解である、というイメージがあり、
同時に、音楽を演奏している人たちも難解である。
難解というか、一癖ある、というイメージが強いのだと思います。

ジャズってなんだろう、という定義は難しいもので、わたくしの考えは以前文章にしてみたりしましたが、
(おやだまブログ:ジャズとは何でござんしょ)
要は、演奏の形態ではなく、「ロック」みたいに精神性で分類したものに近いと思っています。
即興で、音楽的に会話をしましょう、と。なるべくなら、その場所、その時、誰と一緒で、といった要素が有機的に関係していた方が楽しいでしょう、と。
そんな感じだと思っています。

しかし、会話をするためには、それに必要な技術や、訓練、経験が必要だったりして、そのことが実はジャズのとっつきにくさ、難解さ、気難しさ、といったイメージに繋がっているのだと思います。

高度な会話に参加をするには、本当に研鑽が必要です。本当に真摯に音楽に向き合い、自分に向き合い、鍛錬をせねばなりません。そうして成し得た美しい音楽を演奏する人たちことを、俺は尊敬していますし、偉いとさえ思います。
もちろんその過程では本人にしか知りえぬ悩みも付いて回ることでしょうし、ちょっとくらい捻くれちゃったり、おかしくなっちゃったりしてもある意味仕方ないと思います(笑)。

そういう人たちは偉いと思うんですけど、
残念ながら、他を貶めるという方法を使っては、その人たちの偉さとか、美しい音楽を聴いた時の感動は絶対伝わらないんですよね。
あれはジャズじゃないとか、思っててもいいんですけど、そんなこと言ってても、ジャズの良さなんか伝わりもしないし、ジャズの間口も広がらない。何がジャズか、なんて定義も、人によって違うだろうし。

多くの人の目に触れる機会、という意味でのジャズフェス。もっと意義をよく考えたほうがいいですね。
わたくしも、自分が美しいと思った音楽が、もっと色々な人に届いたらいいなと、心から思っております。