「風立ちぬ」を見てきました。

普段結構ボケーッとしてる方なのですが、珍しく公開間も無く観ることに。

しっかりとした映画のレビューなどできるはずもないですが(笑)、とても感銘を受けたので、ライトな感想を書き記しておこうかなと思います。
なお、予備知識はほぼ無しで見に行きました。



ものすごい個人的な嗜好なんですが、ジブリの映画では「紅の豚」が好きです。
金やオンナより誇りと名誉を取る、という基本的な生き方のカッコ良さ。登場人物には一応、敵と味方という陣営に分かれてはいるのですが、みんなちょっとトボけてて良い奴らなんですよね。
あとは飛行艇乗りの話、ということで、単純に飛行機っていうのは男のロマン的なものがありますよね。男の子は、電車とか車とか飛行機とか好きなもんだと思います、本能的に。

勿論、シリアスな側面も描かれています。作中でも、イタリアにおけるファシズムの台頭とその頃の戦争が暗い影を落としており、マルコ(ポルコ・ロッソ)が豚になる呪いにかかっていることは、戦友のほとんどを亡くして自分だけが生き残ってしまった自責の念を象徴しているようです。自分で呪いをかけて豚の姿になったのだという設定もある、と聞いたこともあります。
ただ、何せ登場人物がみんなちょっと抜けてて良い奴らなもんで、シリアスな側面に関してはスポットライトが当てにくい印象は拭えませんけどね(笑)。


「風立ちぬ」も飛行機の出てくる話だし、時代もほぼ同時期ということで、「紅の豚」と切り離して考えることはできませんでした。しかし、「風立ちぬ」では実在の人物を題材にし、しかも戦争で使われたゼロ戦を設計した堀越二郎氏であるということから、よりメッセージ性の強い作品なのだろうなと想像していました。

メッセージ性の強い作品。平たく言うと、ある種の説教臭さや、シリアスな部分が強過ぎることによる見てて辛い感じ・閉塞感を危惧していたのですが、まあ恐ろしいほどにそのような心配は無用のものでありました。

直球で表現してきたな、と。

飛行機などの男のロマンみたいなものを本能的に理解できる男の子たちに、そういった男の子たちを暖かく理解できる女性たちに、現代の日本に対しての危惧のようなメッセージを直球でぶん投げてきたのだ、と感じました。決してドキュメンタリー作品を仕上げたわけではないのです。
効果音を人の声で録音して使用した、ということも話題となりましたが、それも直観的に受け取れる形の表現のひとつとして使ったのでしょう。
(なんか音楽に似てるなと思いました。完璧な音源を作り上げる、というのではなく、感情やら情景やらメッセージやらの表現を優先してパッケージングしたというような。)

なので、個人的にはほんとうに素晴らしいと思い、感銘を受けたと言いたいのですが、真面目に批評をしたり、強く人に薦めたりということをあまりしたくないなぁと思ったのです。映画とかアニメの技法が、とか、ストーリーが、とか、そういう話はわたくしの中では無意味な議論となりました。
(先日、「絶賛の中で異を唱える」みたいな雰囲気で映画評論家の人やらが批判を繰り広げている文章を見ましたが、なんだか重箱の隅をつつくような、一生懸命に批判するポイントを探しました、みたいな如何にもな論調で、正直滑稽だなと思いました。当然です。私の中では、論点が完全にズレているからです。)


作品、というよりは、表現、だと思いました。素晴らしいアニメーションだと思います。
ブラボー。